<< >> 雑音帖へ HOMEへ

新たなホロフォニクスの登場
2007年5月22日
 
Otophonics Factory http://otophonics.com/
Otophonics/OP-001 The Otophonic Gadgets 2007
Otophonicsは20年の歳月をかけて独自に開発された立体音響システム。人間の聴覚が音の空間を立体的に認識するのと同じ方法で音場空間の情報を収録する。Otophonics Factoryの第一弾であるThe Otophonic Gadgets 2007は最初のデモンストレーションというべき充実した内容である。メディアはCD−Rだが、ジャケットとブックレットの仕上がりは自信と意気込みを感じさせるすばらしいものだ。ブックレットの解説は16ページにも及ぶ本格的もので、各トラックの録音状況について丁寧な解説がなされている。収録された内容は全部で56トラックでトータルタイムは79分8秒。4つのカテゴリーに分けられており、ヘッドフォンで聞くと現実の音響空間をそのまま体験するかのような多彩な音源を楽しむことができる。現在Otophonicsの全貌をうかがい知ることのできる唯一の貴重なCD−Rである。
ちょっとした気晴らしにWebを検索していてOtophonics Factoryさんのサイトに行き着いた。そこで見つけたのはホロフォニクスと同様の原理に基づくという立体音響。家に帰ってから再びサイトのサンプルを聞き直してすぐにCD−Rを発注。Otophonics Factoryの第一弾CD−R、最初のデモンストレーションとも言うべきThe Otophonic Gadgets 2007である。そしてご了承をいただくのももどかしく、直ちにリンクをさせていただいた。数日後帰宅してCD−Rを受け取ると夕食もそこそこに聞き始めたが、そこに出現したのはサイトで聞けるサンプルからは想像もしなかった世界だった。とくに音場感はまったくの別物といってもよい程で、しばらくのあいだ時間も忘れて聞き入ってしまった。収録された音源は多彩で変化に富んだすばらしいもので、他では聞けないようなものも少なくない。そして雑事の合間を縫ってなんとか聞き終えると、その日のうちに紹介のご了承をお願いするメールを送っていたのである。翌朝ご了承のメールをいただくと、お礼のメールを差し上げるのも後回しに直ちにホームページにアップ。これはきわめて異例な事である。
普段は他の人の作品などについて書くことは滅多にない。何か書けばどうしても批評の面を持つ事になり。それはマナーとして慎むべき事と考えているからである。数少ない例外は、すでに充分な時を経て確かな評価が定まっており、逆に発言した本人が評価されることになるもの。そして立体音響にとって極めて重要な意味を持つものの場合に限られている。しかし紹介のご了承をお願いするメールを書き始めた時には、そんななけなしの良識さえもすっかり大気圏の彼方に吹き飛んでしまっていた。
常日頃にもない軽挙な行動をしでかしてしまったのも、Otophonicsの再現する世界が大変すばらしく、またエポックメーキングな存在であり、その完成度の高いシステムに対しては全くと言っていいほど悪い評価を思いつかなかったからだろう。
Otophonicsは20年近い歳月を費やして独自に開発された、ホロフォニクスと同一の原理に基づく立体音響収録システムである。このシステムで収録された音をヘッドフォンで再生すると、マイクが置かれた場所の音の空間をそのまま再現する。同じようなものにダミーヘッドマイクを使うバイノーラル録音があるが、正確な距離感の再現や音場空間の透明感、音像のリアルな定位と自然な実在感といった点でOtophonicsは明らかな一線を画している。これはホロフォニクスが、人間が音の空間を立体的に認識するのと同じ方法で音を捉えているからだ。驚くのはシステムの完成度の高さである。さまざまな種類の収録が困難な音源を苦もなくこなしてしまう。立体音響としては世界的にもトップクラス、個人的な知識の範囲では間違いなくトップに位置するものだ。
Otophonicsはホロフォニクスそのものと言い切っていいだろう。これは責任を持って断言できる。でもそう決め付けてしまうとOtophonics Factoryさんは不満を漏らされるかもしれない。しかしここでいうホロフォニクスとは、まだ知られていない人間の立体聴の原理と、それに基づく立体音響システムとを総称するものであり、実物のホロフォニクスを意味するのではない。ホロフォニクスそのものが登場してすでに久しくその後も大きく発展を遂げているはずであり、聞くことのできる僅かばかりの音源はあまりにも長い時を経てしまっている。ホロフォニクスは発見者であるヒューゴ・ズッカレリ氏の手を離れて、すでに一般的な概念にまで昇華してしまっているのである。
もしかするとOtophonicsはホロフォニクス以上の何かであるのかもしれないが、それは開発者であるOtophonics Factoryさんだけが知るところだ。人間自身の聴覚を超えるリアリティーというのは決してありえないものではないと思うのである。
堅苦しい前置きはこのくらいにして、さっそくThe Otophonic Gadgets 2007に収録されたものからピックアップして紹介させていただこう。
Track01 開幕
まずはオープニングから。開幕のブザーに続く静寂のあと左右の客席から拍手が起こる。厚みのある肉感的な拍手の炸裂する感じが心地よく、それぞれの拍手の距離感の再現も見事だ。オープニングに続いてTrack12まではカテゴリー1で、立体聴のトレーニングといった感じのサウンドエフェクト。お馴染の素材が収録されており、さらに新たな素材もいくつか追加されている。
Track04 マッチ箱
これはもうお約束といっていいもの。マッチ箱を振りながら頭の周りを上下左右前後に移動する。マッチ箱の音の質感がよく音像がリアル。マッチ箱の移動も目で見るようにその軌跡を追える。つねに滑らかに移動して途中で停滞したり突然ワープしたりすることはない。マッチ箱の距離感や遠近の移動もはっきりと分かる。中でも頭の前方を上下に移動するシーンは他では聞くことのできないもので、Otophonicsの精度の高さを物語っていてとても興味深い。
Track09 コーヒー
ペーパーフィルターを取り出しセットする。コーヒーミルに豆を入れて轢き、ドリッパーでコポコポと入れる。さまざまな器具が頭の周りを回転し音を立てる。サウンドエフェクトの中ではとくに長いトラックで、これを言葉でいちいち説明していては退屈させてしまうだろう。実際に聞いてみるのがなにより。それぞれの音の距離感や方向の対比も見事で、周辺から微かに聞こえる物音も周りの状況を伝えている。
Track10 猫サラウンデッド
聞き始めるとすぐに唖然となってしまう。思わずギョッとするような猫の鳴き声、あちこちを動き回る足音、周辺の物音、遠くから聞こえるかすかな音、その環境のすべてが突然身の回りにやってくる。Otophonics Factoryさんは鳴いている猫が少ないのを気にしておられるが、このくらいで丁度いいのではないだろうか。あまり多いと雑然としてかえって変化に乏しくなると思う。猫の声と辺りの不気味な気配に脅威を覚えてしまうのは、もしかするとボクだけなのかもしれない。この可愛い猫たちは、少なくとも我が家の猫のように猫をかぶってはいないはずだ。
Track12 ヘッドフォン
一見なんでもなさそうに聞こえるが、大変にショッキングなデモだ。立体音響で録音された世界の中でヘッドフォンをつけると別の世界が展開し、これまた立体音響で録音された音楽が周囲で奏でられる。そこには何の違和感もない。そしてヘッドフォンが取り去られると、いま耳にしていた現実が剥ぎ取られ、また元の現実が出現する。そしてふと気付いて自分のしているヘッドフォンを外すと、今度こそ本当の本物の現実が・・・。しかし本当にこれが現実、と疑い始めると・・・。その疑いだけが唯一の確かな現実だったのだと、妙に哲学的なことを考えさせられてしまう。同じことがもし映像の世界で起きたら、それこそ世界中がパニックに陥るに違いない。こんなことをいとも簡単にやってのけるOtophonicsの完成度の高さは本当に驚くべきものだ。
Track13 幕間
幕間のおせんにキャラメル。PAの音は存在感があり、「おせんにキャラメル」という子供の声が客席の間を動き回る。あと2つなどといってどこかへ行ってしまったが、まだまだこれからが本番だ。おつまみは自分で調達すべし。つづいてTrack39まではカテゴリー2で、春から冬へと季節を追っての音の風物詩である。ステレオ録音との対比もあり、立体音響が始めての人には興味深いだろう。
Track15 初詣
正面から聞こえる鈴の音や拍手を打つ音が強烈で存在感がある。周りを通り過ぎる足音、下駄の音、控えめな話し声、おみくじを振る音、雅楽の演奏。遠くからは微かに鐘の音も聞こえるようだ。耳を澄ますと穏やかだが多彩な音の空間がある。
Track22 雷
雷の3つのシーンを集めたもの。子供のワーッという悲鳴の直後に右方向に落雷の音。すぐに左の方角に反響して天空を駆け上がっていく。前方には空間の広がりを感じる。次のシーンも右手で雷鳴が起こり、こちらは左やや後方に大きくズシン、ピシピシと反響して広がり空間を大きく揺るがす。左手の遠くで聞こえる踏切の音、右手やや前方からは小さな水の音。最後のシーンは雹と雷鳴。降り注いで建物に当る雹の音は鮮烈だ。
Track23 田蛙
夜の田圃で鳴く蛙の集団。その声には呪術的な響きがあって、長く聞いていると良く見知った周りの世界が、日常とはかけ離れた別の幽玄な世界へとしだいに変貌していくような不思議な感覚に襲われる。遠くの微かな車の音がそれをかろうじて現実に繋ぎ止めている。間近で聞く蛙の声は意外なほどに力強い。
Track27 盆踊り
前方のやや高い位置から音頭が聞こえて来るが、どこまでがPAでどこまでが生の音なのか渾然一体となって良く分からない。ところが鉦と太鼓のリズムがとつぜん乱れて、初めてPAの音頭が止まってしまったことに気がつく。正面から聞こえる音頭と周りで騒ぐ人達の声との対比が面白い。
Track33 秋の夜
ほとんどなにも目立った音のない、しかも1分にも満たない異色のトラックだ。しかし自分で録音をしている人なら、さらにそれが立体音響だったら、おおいに興味をそそられてじっと聞き入るに違いない。こうした場所で感じ取る繊細で微妙な感覚を音で伝えることの困難さを良く知っているからだ。それには極めて高い音のクオリティーと音場のリアリティーが要求される。勇気ある挑戦である。
Track37 ジングルベル
言語的な共通性のせいかもしれないが、アルデバランに収録されたアルゼンチンのミュージシャンに囲まれるシーンを思い出してしまう。気のおけない会話とくつろいだ雰囲気の中で奏でられる音楽に、まるでリスナー自身がその場にいるような気分に誘い込まれる。自分だけ何もしないで聞いていていいのだろうかという、妙に場違いな居心地の悪ささえ感じるほどで、それがかえって心地よい緊張感とスリルを与えてくれる。
Track40 学食
冒頭で前方から聞こえる爆発的な笑い声、リスナーの周りを取り囲んでいる多くの人間の雰囲気、そして後半でじわじわと耳に迫ってくる携帯電話の気配と音。視覚的というよりは肌で直接その存在を感じるようなリアリティーだ。電話で片耳を塞がれているにも関わらず、音場はまったく揺るぎさえしない。ここからTrack52まではカテゴリー3で、各種の交通機関や乗り物、その他興味深い状況での音風景が収録されている。
Track45 銀座線乗車
電車の中の息詰まるような閉塞感と、ドアが開いたときの圧倒的な開放感との対比があざやかだ。音だけで聞いていると突然ポッカリ空間に穴が開き、別の次元の広い空間に繋がってしまったような衝撃を受ける。これを聞くと、もう通勤電車になんか二度と乗りたくないと思うだろう。立体音響ならではの音の空間の表現である。
Track47 仲見世
通りを行き交う人々の群れに見事に四周を取り囲まれてしまう。口々に交わされるさまざまな言語。「民族とは言語共同体である」というレーニンの言葉が正しければ、それこそさまざまな民族の渦の中に巻き込まれる。少し離れたところから聞こえる箏の音、左手の店で買い物をする客の会話。前方から近付いてくる人の流れ。耳を澄ましていると次第にあたりの様子が見えてくる。
Track52 ヘリで遊覧
すさまじいばかりの爆音である。難聴にならない程度のできるだけ大きな音量で楽しみたい。ローターの風を切る音。耳をつんざくようなタービンエンジンの回転音。周りで巨大な音の塊がうごめき脈動しリスナーに襲いかかる。これはもう不快音というよりは痛快、豪快音だ。音の世界だから大丈夫と甘く見るのはやめた方がいいだろう。へたに動くと命が危ないんじゃないかという気分になってくる。大音量での長時間繰り返し再生には要注意、難聴の恐れがある。
Track53 雅楽 人長舞 其駒
Track56まではカテゴリー4で楽音である。最初は屋外での雅楽演奏。舞台の後方左から録音されていて、演奏は前方に緩やかに広く展開する。虫の声からすると季節は初夏くらいだろうか。決して大きくはないが周りから聞こえてくる物音や、伸び伸びとした音の広がりから閉鎖された空間でないことが分かる。それにしても左の方から規則正しく聞こえるカチカチという音は微妙にリズムが揺れて、まるで子供が演奏に合わせて玩具でいたずらでもしているみたいな何とも不思議な音だ。あとでOtophonics Factoryさんから伺ったところでは笏拍子という楽器で、拍子木のように二つの板を打ち合わせるものなのだそうだ。まるで間近で聞く小さな火薬の爆発音のようで、恐ろしく立上がり立下りの早い音である。こういった打楽器類のリアルで微妙な質感の再現は立体音響ならではのもの、ステレオ録音のスピーカー再生ではなかなか出てこない。
Track54 Clair de lune
ややくぐもった音色のとつとつとした音だが、実際の演奏を記録したピアノロールによる自動ピアノの演奏で、録音位置は奏者の位置である。似たような条件で録音されたものにアルデバランで聞かれるSteven Halpernの演奏があって、こちらは奏者の少し後方からのようだ。音色などはかなり異なっているが、録音された環境が似ているためか、同じような印象を受ける部分がある。あまり大きな空間ではないので、かえってピアノのオーラが部屋の大きさいっぱいに充満するような感じた。
すべてのトラックを聞き終えて感じるのは、やはりOtophonicsの完成度の高さである。サイトのサンプルではちょっと気になった高域の異質感や歪感もCD−Rではまったく感じられない。もともとヘッドフォンによる再生を目的としたものだが、両立が困難なペアスピーカー再生でもほとんど不自然さを感じないのは見事だ。よく問題にされる前方定位は、個人差の影響が出やすい部分で意見が分かれるところだが、個人的にはどのトラックも音場がすべての方向に均一に展開し、前方の定位感も明瞭で安定している。ただ一つ不安定に感じたのは、眼前を横切る人の足音だった。ホロフォニクスは前方の定位が明確で鮮明な分、リスナーとの相性が悪い場合はその差異も明確に再現する傾向がある。ほとんど文句のつけようのないOtophonicsだが、少しだけ気になるところがあるとすれば、聞き始めた瞬間にちょっと違和感があって音場の展開が少し遅れること。もっとも最初の何回かだけで、あとは消えてしまって気にならなくなる。これはペアスピーカー再生との両立性を考慮した立体音響に共通するもので、Otophonics自体の本質的な問題ではない。ヘッドフォン再生に特化すれば違和感はなくなるが、ペアスピーカー再生で不満が出る。さまざまな音源やシーンに対して優れたパフォーマンスと適応性を示すOtophonicsにはこれから多くの期待が寄せられるだろう。Otophonics Factoryさんの今後の動向には油断がならないと思うのである。
現在世界には5つのホロフォニクスが確認されている。もちろん一般に知られていないものも入れれば数はまだ増えると思う。一つはもちろんヒューゴ・ズッカレリ氏のご本家ホロフォニクス。ズッカレリ氏自身のサイトは今は閉じられてしまったが、彼は現在に至るまでずっと活動を続けており、いまも世界を駆け巡っている。もう一つはイタリアに数年前に開設されたHolophonic.chのサイトで確認されるもので、これもまたホロフォニクスである。しかしあとの3つが国内に集中しているというのはどう考えても異常なことだろう。そのどれもがズッカレリ氏のホロフォニクスと接したことを契機としている。ともかくもこれは喜んでいいことで、ボク自身この状況を大いに楽しんでおり、新たなソフトの登場とその音の世界に接することを心待ちにしているのである。最後にこのような契機となったホロフォニクスを紹介してくれた八幡書店と、その宗主である武田崇元氏には感謝の意を捧げておかなければならないだろう。そしてもちろんホロフォニクスの最初の発見者であるヒューゴ・ズッカレリ氏その人にも。
 
▲UP 雑音帖へ HOME