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Wald Konzert(森のコンサート)
2005年6月14日
 
森のコンサート  〜ヨーロッパの森の四季〜
POLYDOR H30P-20243  収録場所はSalzburgとKonstanz
(C)1985 MUSIC Factory GmbH,Mainz,W.Germany
(P)1985 Wergo Schallplatten GmbH,Mainz,W.Germany
二つ折りのジャケットを広げると中には235mm×235mmという何となく中途半端な大きさのライナーノートが一枚はさんであるだけ。表に大きく印刷されたモノクロの写真には、雑然とした林の外れの少し開けた場所で、使い込まれた三脚にセットされたノイマンKU81iダミーヘッド、アルミケース、ナップサックに仲良く収まったベータマックスF1とデジタルプロセッサーPCM−F1、小さなパイプ椅子、それに立掛けられるように置かれたたテレスコープが写っている。裏面はすべて解説で、まるでその場に居合わせた人間が書いたとしか思えない、リアルで視覚的なものである。このライナーノートの写真にWalter Tilgner氏のクレジットがあるだけで、録音者としての彼の名はどこにも見あたらない。輸入盤となりジャケットは変更されているが現在でも国内で入手可能である。
このソフト、長岡鉄男氏が何度も紹介されているので、氏のファンならお持ちの方も多いのではないだろうか。ボクがいつこれを買ったのか、15年以上が過ぎ去った今となってははっきり思い出せないが、とにかく純粋な立体音響のソフトとしていちばん最初に購入したものであるのだけは確かである。たしか1989年以前のことだと記憶している。その時はWalter Tilgner氏の録音によるということも、長岡鉄男氏が紹介されているということもまったく知らなかった。知ったのはずっと後のことである。
最初に聞いた印象だが、これが極めて悪かった。まずノイズが多い、環境のノイズというのではなく機器、おそらくマイクかマイクアンプのノイズである。ダミーヘッドマイクがもともと環境音などの録音用としてではなく、騒音測定用として比較的大音圧の音源を対象に作られているためだろう。音場空間も透明度が悪く距離感が出ない。大部分の音は両耳からほぼコニカル状に展開する。特に冒頭の足音はショックだった、頭の周りに完全に付着してしまう。ヘッドフォンで再生してもスピーカーで再生してもダミーヘッド録音に特有の音の濁りが強い。
KU81iは後継機のKU100になってかなり性能が向上している。しかしそれだけではとうてい説明できないものがこの録音にはある。特に音場については長い間その原因が分からなかったし、未だに十分に理解できないでいる。しかしTilgner氏が多用しているヘッドフォンタイプのウインドスクリーンが大きな原因の一つであるのは間違いない。とにかく初めて聞く者をさえ、「これはおかしい」、と考えさせるものだった。
というわけでまことに幸先の良くないスタートを切って仲間に加わったソフトだが、それにもかかわらずその後もいく度となく取り出しては耳にしてきた。内容の方だが、録音された季節は四季にわたり、6つのトラックにそれぞれ冬、早春、森の小川、春、夏、秋が割り当てられている。音源も、動物の足音、野鳥の声、虫の羽音、大型動物の鳴き声、虫の鳴き声、キツツキのドラミングの音、流れの音、雨音、雷鳴、車の騒音、教会の鐘の音、オルガンの音、遠くの街のざわめきと極めて多種多様にわたっている。各トラックは多数の断片を切れ目なく繋ぎ合わせて構成されているが、ざっと数えただけでもトラック1が7、トラック2が7、トラック3が3、トラック4が5、トラック5が10、トラック6が1ある。実際はもっと多いはず。一つひとつの断片は30秒から7分程度の短いものだ。同じテープから何度も取り上げている部分もある。
面白いのはそれぞれの断片が、自然の音の連続の中からいかにも無造作にむしり取って放り込まれたような、無神経とも、ぶしつけとも、あるいは野蛮とさえ言えるような印象を与えること。しかし良く聞くと、これがただ事はでないことが分かる。まず近接した音像が非常に多く大変に変化に富んでいること。しかもそれに比べて周辺の音の密度が意外に低いことでである。ほとんど皆無といっていいものもある。録音されたのは特別な場所というわけでもなく、人間の暮らしている場所からそう遠くはない所のようだ。環境ノイズとして車の音や街のどよめき、教会の鐘やオルガンの音が随所に聞こえる。ライナーノートの写真のバックにもコンクリート製と思われる人工物が写っている。自然環境は豊かだが、音源の密度としては決してそれほど高いとは思われない。このソフトに収録されているような瞬間をとらえる事ができる確率はかなり低いはずである。そう簡単に録音できるものではない。しかしこれが結果として内容を平均化、均一化させず、予測しがたい変化に満ちたものにしている。おそらく背景には膨大な時間とテープと労力が費やされているのだろう。
環境ノイズの豊富さもこのソフトの特徴である。それらを徹底的に排除したソフトもあるが、そのようなものではどのように音場か広くても、限られた空間、閉じられた空間といった印象をどうしても与えてしまう。暗黒の虚無の空間にポッカリ浮かぶ音の群れ。しかし一見邪魔者としか思えない環境ノイズによって、閉じられた音の空間は外部の世界に向かって開き、イメージの中で実際の音源の距離を越えて広がっていくのである。
Tilgner氏はこれらの音を収録するに当たって、一般的に人間が持っている自然に対する美感や通念、好みや期待といったものをほとんど気にとめていないように思われる。録音と編集の実情を多少なりとも知っている者には、ありのままの音とはどうしても言えないが、いたってそれに近いものである。なぜかそれらのことが彼に粗野で野蛮といった印象を与える。いかにも温厚でちょっと洒落ものの老紳士といった現在のTilgner氏だが、実のところ本性はけっこうワイルドな野人なのかも知れない。
決してとっつきがよく、耳当たりよく、万人の耳に快く聞こえるというソフトではない。ボクはひどく飽きっぽい性格なので、環境音のソフトはたいてい聞いている途中ですぐに放り出してしまい、最後まで聞き通したものは少ない。これはそんな数少ないソフトの一つであり、聞くごとに興味が深まっていくものである。多大な時間と労力を要するこのようなソフトが今後頻繁に作られる見込みは恐らくない。そういった意味でも貴重なソフトだと思うのである。
ただひとつ、どうしても残念でならないのは、Tilgner氏が風音には非常に気を使っているが、ダミーヘッドマイクの音場の再現性に意外と無関心であること。風の音が少しくらい入っても良いから、せめてウインドスクリーンだけでも外してくれないかな。
 
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