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 日常のありふれた音の記録です
2014年6月
2014年6月28日 田んぼには水が入り、近所の水田の田植えも終了。今日は朝から小雨だが、ちょうどいいと出かける。大雨だとどうしようもないが、こういう天気もなかなか悪くない。木の葉に付いた水滴の輝きも、曇り日の淡い光で穏やかだ。草の伸びた道端を歩き回っているとズボンがビショ濡れになるがそれも仕方がない。天気予報に多少の真実があれば、そのうち陽も照るだろう。小雨の日って意外とにぎやかだ。日はすでにかなり高くなっているはずだが、気温が急激に上昇しないためなのか。朝あまり早く出かけられないボクにとっては結構ありがたい天気である。
Sample.mp3 1分35秒、1.83MB 離れた場所で聞いていた音と、録音した音はずいぶん遠近感が違う、と感じることがよくある。近づくと近い音はますます近く、遠い音はますます遠くなる感じ。過剰遠近法?、はたまた超遠近法?、・・・なぜだ。人工ヘッド"Pelias"とPCM-D50で録音。(すべての音響効果をOFFにして、ヘッドフォンでお聞き下さい / Please turn off all of sound effects and use a headphone)
自然保護って考えてみるとちょっと変である。環境が変われば滅びるものはさっさと滅び、生き残るものはしぶとく生き残る。滅亡がなければ進化もない。長いあいだ生物はそうしてきた。人間もちょくちょく滅んだ方が少しは進化する可能性があるのかもしれない。自然保護もいいが、脆弱な人間は過酷な自然の中ではすぐに捕食動物にむさぼり食われしゃぶり尽されて、わずかばかりの骨と糞の山になる。保護すべきなのはむしろ人間の方だろう。これはぜひとも保護区を作って、自然から厳重に隔離し保護しなければならない。しかし保護された生き物は進化を停止し、やがて退化し弱体化する。保護区はしだいに縮小し、分裂して孤立化するだろう。保護区の管理さえ行なう必要がなくなるかもしれない。そうして数千年が過ぎ去れば、自然は本来の自然な状態にもどって行くだろう。そんな話をどこかで読んだような気がする。とてもありそうもない話だけど。

2014年6月17日 梅雨の一日。一面のっぺりした曇り日だが湿っぽくなく、明るくて風が涼しく、何となくさわやかな朝だ。相変わらずキャンプ場の一番上に陣取る。今年になってまた新しいウグイスの鳴き声が登場。「ホー、ドケェイキョン?」。方言だが現在進行形の疑問文。適訳がない。何処へ行きよるの?、といった感じ。ご当地限定の地方版。コッチヘコイ・ウグイスは相変わらず健在。「ホー、コッチヘコイ」、「チョットコイ」、「ホー、コッチヘキテ」、「ホー、ドケェイキョン?」。ほっといてもらおう!。
Sample.mp3 1分29秒、1.71MB 前回と同じキャンプ場の一番上にある、流し台と調理台の付いた建物。ただし場所は外で、約5m離れた桜の木の下。うしろで屋根を突いているのはだれだ。人工ヘッド"Pelias"とPCM-D50で録音。(すべての音響効果をOFFにして、ヘッドフォンでお聞き下さい / Please turn off all of sound effects and use a headphone)
哺乳類とか爬虫類とか鳥類とか、なぜか背中が暗く腹側が明るい色調のものが多い。逆に虫ケラなんかわりと均一、というか背中の方が明るく派手なものも多い。なぜなんだろう。もともと哺乳類なんかをひっくり返して、ついでに頭と尻尾を反対にしたものが虫ケラになるのだそうだが、そのせいなのか。もちろん人間も哺乳類だから前者。でも腹の黒い人とか、お腹が上を向くくらいそっくり返っている人とか、口から汚わいな言辞を吐き散らす人とかはどうなるのか。よくわからん。ひょっとしてオイラも?。

2014年6月14日 梅雨の合間の晴れの日、といっても夏の陽光がさんさんと降り注ぐといった景気のいい日ではなく味気ない薄曇り。それに梅雨といっても本格的に梅雨らしい日はまだない。裏庭のアジサイも冴えない顔色だ。6月といえば初夏の強烈な陽光と七色の雲。どちらにも未だにお目にかかっていない。埃っぽいカビた大気に湿気でくすぶる太陽。七色の雲どころか、まともな夕焼けを目にするのさえまだである。夏至を過ぎると少しづつ空気の色は清烈さを失い、8月にもなるとすっかりよどんでしまう。梅雨が明ける前に一度は体験してみたい、この季節の楽しみである。でもどちらもせいぜい数日しかないのだけれど。
Sample.mp3 1分24秒、1.62MB キャンプ場の一番上にある、流し台と調理台の付いた建物の中で録音。この中で聞いていると何となく音が近く、賑やかそうに聞こえてくる。でも後で聞いて一番驚いたのは録音のメッセージを入れる自分の声。環境でずいぶん響きが違うものだ。人工ヘッド"Pelias"とPCM-D50で録音。(すべての音響効果をOFFにして、ヘッドフォンでお聞き下さい / Please turn off all of sound effects and use a headphone)
勧誘の電話だの、怪しげな商品を売りつける訪問客だのというと当世風だが、昔なら押し売りである。とはいえボクも一度しかお目にかかっていない。一見して凶悪そうな顔つきと、あるのかないのか何やら後ろ暗い背景を匂わす思わせぶりな言葉遣い。無遠慮に訪ねてきて、どっかと図々しく玄関先に腰を据え、どこから仕入れたのか粗悪な品物を風呂敷包みから取り出して、埒外な値段で強引に売りつける。まさしく押し売り。主婦や子供からは疫病神のように恐れられていた存在である。でも今考えてみるとずいぶん良心的な商売ではある。身のキケンを顧みず大いにサービス精神を発揮して押し売りのパフォーマンスを演じたうえ、しかも粗悪とはいえ一応ちゃんとした品物を置いていく。高価といってもどのみち大抵は安価な日用品だから法外な値段ではない。一軒一軒せっせと訪ね歩き、ちまちま売ってほそぼそ暮らす。いま時だったらとても成り立たない地道な商売である。

2014年6月10日 すでに梅雨。田んぼの直播きの稲は10cm程に伸びている。田んぼの雑草というと、このあたりでは稗が主。長期間種が地中にあっても芽を出すので、駆除には10年くらいはかかるという。一つづつ丁寧に抜いていくが、中には稲が芽を出すとまもなく稗で一面緑色になる田んぼもある。これはもうどうしようもないので除草剤で枯らしてしまう。あとは丁寧に一本づつ抜いていき、稲が実る頃にはすっかりきれいになくなってしまう。でも次の年はまた田んぼ一面が稗で緑色になる。駆除はなかなか容易ではない。稗といえばもちろん五穀の一つ。一度思う存分食べてみたいと思うのだが、なにしろ高級食材、白米のようにお安くはない。清貧の徒にはなかなか手の出せない贅沢品である。
Sample.mp3 1分37秒、1.86MB 陰鬱な曇り日にあまりありがたくない風。その間を縫って小雨が降る。いつのまにか梅雨である。こんな季節もそれなりに悪くはないが、降り続く大雨はごめんだ。人工ヘッド"Pelias"とPCM-D50で録音。(すべての音響効果をOFFにして、ヘッドフォンでお聞き下さい / Please turn off all of sound effects and use a headphone)
このごろ景気は良くなっているのか?。そんなことは知る由もないが、1〜2年前から勧誘などの電話は増えている。家にいるとたいてい一日に1、2回は掛かってくる。もっともそんな電話には滅多に出ないから本当のところは分からない。でも時々退屈しのぎに受話器を取るとたいていそうである。長岡さんだったら面白がってからかって遊ぶところだが、こちらは根っからの真面目人間だから懇切丁寧に応対する。適当に相槌をはさみながらひたすら話を聞いて差し上げる。しかし思わせぶりな返答をして話を長引かせ、あらぬ希望を抱かせてぬか喜びさせるような底意地の悪い真似はしない。そして話が佳境に入り頃は良しと見計らった時、とっておきの親切心を発揮する。「ガチャ!」。相手に無益な時間を浪費させない心遣いである。なんて親切なんでしょ。
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