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ホロフォニクス/アルデバラン
2003年10月4日
 
八幡書店発行。1988年11月25日に初版、1989年11月18日には第2版が発行されている。当時税込み4230円であった。全部で26トラック。最初の9トラックはおなじみのサウンドエフェクトである。Maches-Matchbox shakes、Haircut-Hairdrier、Newspaperといったものはどこかで聞いた人も多いはず。10トラックから16トラックはBees、Birds amd airplanes、Fireworks、Racing carsといった特徴的な環境音が集録されている。後半はアルゼンチンの民族音楽、バグパイプ、声楽、オーケストラといった音楽が中心だ。ヒューゴ・ズッカレリの言葉を引用した武邑光裕氏の解説は、ホロフォニクスの謎を解き明かすどころかますます深めるばかりである。アルデバランUもリリースされているようだが、手に入るのかどうか分からない。
立体音響を語るとき繰り返し登場するのがホロフォニクスである。
80年代の終りに八幡書店から幾つかのソフトを送り出して以来、ホロフォニクスは我々の前から姿を消す。その後ホロフォニクスの開発者ヒューゴ・ズッカレリはすっかり活動を停止したのかとおもっていたが、最近インターネットで検索して、かなりの情報が出てくるので驚いた。彼はずっとホロフォニクスとかかわり続けているようである。
いくつかの写真が掲載されているが、かなりの長身、なかなかの美男子である。
最近のものは2000年の記事で,ウェアラブルタイプのホロフォニクス・マイクロフォンを装着しビデオカメラを構えた彼の姿が写っている。
もっとも現在リリースされているソフトはほとんどないようで、いまだに15年ほど前に発売されたアルデバランがカタログに載っている。ネット上での話題になるのももっぱらこのソフトである。バイノーラル系のサイトにもしばしばホロフォニクスは登場する。そしてそこでも取り上げられるのはやはりアルデバランなのだ。
このソフトの最大の特徴は、ホロフォニクスの歴史が凝縮されているということである。
それは開発をはじめた頃の初期のシステムからアルバム発表当事に至るまでの、恐らくは15年近いものである。ホロフォニクスの集大成ともいえる。ただなぜヒューゴ・ズッカレリがこの時期にこのようなアルバムを発表したのか、そして現在もなお存在しているのかは、彼だけが知っている謎である。
ヒューゴ・ズッカレリ自身がホロフォニクスについて語っていることもあちこちで見つかるが、それを要約すると次の5つになる。
 1.ホロフォニクスはバイノーラルではない
 2.ホロフォニクスはダミーヘッドではない
 3.ホロフォニクスは頭部伝達関数に基づかない
 4.ホロフォニクスはモノーラルを基本としたシステムである
 5.ホロフォニクスはホログラムの音の相当物であり、人体からの参照音と外部音との干渉により、音のホログラムを生成する
ホロフォニクスはバイノーラルではない、というのには異存はないが、その理由として「スピーカー再生でも問題がない」という理由を挙げているのはちょっと面白い。ヘッドフォン再生とスピーカー再生の互換性は原理的にないからである。スピーカー再生に適合させるような変換を行っても音場情報が損なわれないと言いたいのだろうか。
はじめてホロフォニクスを聞いたのは、80年代の終わりに八幡書店から発売されたアルバム、アルデバランが最初である。stereo誌の1990年1月号、究極のバイノーラル録音入門という記事で紹介されていたのが購入するきっかけとなった。菊野宏一氏の謎めいた一文に誘惑されたのである。しかし当時ですら4230円は破格の高値、かなり思い切った買い物であった。
それまでにいくつかのダミーヘッドによる録音を聞いていたが、あまり良い印象をもっていなかった。どうしても前方方向の定位が希薄で、音場が小さく縮こまって透明感がなく、音が頭の回りにまとわりつくような印象があったからである。
しかしホロフォニクスを聞いた時はそうではなかった。よくホロフォニクスについて語られるのは、特殊な処理をされているとか、音場情報の強調が行なわれているとかいうものだか、最初の印象は全く違っていた。むしろバイノーラル録音に比べ、自然で強調がなく、現実の音に近いものだと感じたのである。これは十数年たった今も変わらない。
ただ音質的にはやや違和感がある。理由はホロフォニクスがスピーカー再生も考慮して開発されているからだ。このへんは中途半端な気がしないでもない。
ところでアルデバランには、他のソフトにはほとんど見られないもう一つの特徴がある。それは環境ノイズが豊富に集録されている事である。意図的に集録したといってもいいし、またそういった瞬間をわざわざ切り出してきたとも思える。
最初のサウンドエフェクトでも聞き取れるが、Beesあたりから顕著になる。そこでは遠くのざわめきや車の音、なにかが床に跳ねかえるような音、子供の声などが聞え、耳元で羽音を立てる蜂たちから注意を奪い去る。
Birds and airplanesでは最初から登場するジェット機の飛行音が印象深い。ごく日常的な音がこれほど不思議な感覚を呼び起こすと思った事はなかった。遠くから聞える子供たちの叫び声、金属のぶつかる音、なにかが回転する音、そしてかすかな鳥たちの声。やがて頭上を何度も飛び回る鳥の登場となる。
Rain and thunder、近くを通りぬける車の音、かすかな水の流れ、電話をかける声、鳥の鳴き声。遠くの山彦のような響きは、辺りの情景をおぼろげながら想像させる。
De Ushuaia a la Quiacaでは人工ヘッド「リンゴ」を左右から興味深げに覗き込むミュージシャンの気配が不気味だ。
Bagpipes、目の前で演奏されるバグパイプよりも、次々と室外を通り過ぎる車のエンジンの音の方にどうしてもに興味が移ってしまう。これには背筋がゾクッとするようなリアリティーがある。
A los amigos perdidosでの室外を吹き抜ける風の音は、全体の雰囲気をまったく一変させる。単に目の前に音楽があるというのではなく、自分がその土地にいるのだという奇妙な感覚を起こす。かすかな風の音から、戸外の情景までも想像してしまうのだ。
こうした環境ノイズは単に無神経に集録されているようにも思えるが、Fireworksでのシチュエーションの見事さを考えると、そうでない事が分かる。彼はこうした瞬間を好んで取り出しているのである。
もしこれらの環境ノイズがなかったら、単に人を驚かすだけのソフトか、優秀な立体音響というだけの平凡な音楽ソフトに終っていただろうと思う。
オーディオ評論家の故長岡鉄男氏が、ダミーヘッドでヨーロッパの森の四季を録音した「森のコンサート」というソフトについて何度も言及しているが、その中でこうした微細な環境ノイズの重要性について触れていたことを思い出す。これにはまったく同感だ。
人には譲れない大切なソフトの一つである。
 
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