立体音響の世界
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 立体音響とは

人間が自然の環境の中で自分の耳で音を聞いている時、あらゆる方向から、またあらゆる距離からの音を捕らえ、それを三次元的な音の空間として認識しています。この主観的な音の空間が音場空間です。音場空間の収録・再生に関わるものを総称して立体音響といいます。立体音響の歴史は長く、古くはステレオやバイノーラルの実験に始まり、100年余りの歴史をもっています。
音の存在する空間のあらゆる場所の空気の振動の時間的な変化をを収録し、それを再生時にそのままリスナーの周りに再現するのが理想ですが、実際には極めて困難です。そこで一般的には特定の場所で聞いた時の音の変化を収録し、リスナーの耳に対してその状態が再現されるように再生する方法が用いられます。ただしこの方法では収録時にはリスナーの聴取位置の自由は与えられず、また再生時にはスピーカーに対しては特定の位置関係を保たなければならず、ヘッドフォンを耳から外すわけにはいきません。
それでもふだん耳にしているのと同じ音の空間を、そのまま再現したいという欲求は強く、バイノーラル、ステレオ、マトリクスステレオ、多チャンネルステレオ、バイノーラルのペアスピーカー再生などさまざまな方式が試みられてきました。しかし、ヘッドフォンによる再生がある程度の成功を収めているほかは、立体音響としては十分に満足のできる成果が得られていないのが現状です。



立体音響と音場情報

音場空間の再現には、それを伝えるために音場情報という三次元的な音の情報が必要です。音場情報は音が存在する空間の特定の場所で、人間が自分の耳で聞いたり、マイクで収録したりした時に、はじめて情報として取り出す事ができます。
「実際に音を聞いているときに聴覚器官から脳に送り込まれている情報を、その音を収録・再生したときにも同じように脳に送り込む」 ことができれば、理想的な音場空間の再現が可能です。これは様々な方式の立体音響の基本となるものです。


音場情報は大きく分けてつぎの4つになります。
 ・モノフォニック音場情報
裸のマイクによる録音で得られる単一の伝送系による音場情報です。音源の位置や、それが存在する環境によって作られます。主に音場の上下、奥行きなどの情報を含みます。
モノーラルのテレビでドラマなどを見ていて、鳥の声がはるか上方から聞えたり、犬の声が部屋の向こう側から聞えたりするのは、このモノフォニック音場情報によるものです。
 ・ステレオフォニック音場情報
ペアマイク、ワンポイントステレオマイクなど、複数の裸のマイクによる録音で得られる、2系統以上の伝送系による音場情報です。チャンネル間の音量差、位相差に基づく情報で、水平方向の定位や音の広がりに関係します。
このような音場情報を利用するものに、普通のステレオや多チャンネルステレオがあります。
 ・モノーラル音場情報
人人体、特に頭部や耳の介在する音場情報で、単一の伝送系によるものです。つまり片耳だけに関わる音場情報です。モノーラル音場情報は人間の聴覚器官が捕らえている音場情報の中ではもっとも基本的で強力なもので、それ自体が三次元的な空間を再現することのできる音場情報です。
このためヘッドフォンで片耳モノーラル再生することにより、完全な三次元的音場空間を再現することができます。また単一の伝送系によるモノーラル音場情報は当然バイノーラル効果に基づかず、一般的に測定されている頭部伝達関数(HRTF:Head Relayted Transfer Function)にも基づかない音場情報です。
Isophonic Laboratoryでは、矛盾のない二つのモノーラル音場情報の伝達を左右の聴覚器官に対して同時に行なうものを、バイ・モノーラルという言葉で定義し、使用しています。バイ・モノーラルはバイノーラル的な要素を含みますが、その内容は一般的なバイノーラルとは異なります。

 ・バイノーラル音場情報
人体の介在する音場情報のうち、人間は2つの耳で立体的に音場を認識する、というバイノーラル効果の一つに基づく音場情報です。左右の耳に到達する音の時間差、位相差、周波数特性の差などによるとされています。
しかしこれだけでは正中面(人体を左右に分ける平面)内の音像の定位を説明できないため、頭部伝達関数という概念が導入されています。頭部伝達関数(HRTF:Head Relayted Transfer Function)とは、さまざまな方向や距離をもった音源から人間の聴覚器官に至る音の変化を表したもので、同時にこれがバイノーラル効果を説明する一つの根拠となっています。
しかしバイノーラル音場情報そのものは、それほど強力な音場情報ではなく、音場空間の再現において必ずしも必要というものではありません。また、それ自体で完全な三次元的音場空間を再現することはできません。頭部伝達関数そのものの定義が曖昧で、測定もまだ不完全だからです。
このようなバイノーラル効果に基づいて音場情報の伝達を行なうものをバイノーラルといいます。



立体音響の録音方式

立体音響の収録方法にはいくつかの代表的な方式があります。
 ・人体の介在しない録音方式
普通のペアマイク、ワンポイントマイクなど裸のマイクによる録音です。普通のペアスピーカーによる再生に適します。収録できる音場情報はモノフォニックな音場情報、およびステレオフォニックな音場情報です。
モノフォニックな音場情報は主に上下方向と奥行きを再現します。モノーラルのテレビでドラマを見ていて、鳥の声が上方から聞こえたり、犬の声が部屋の向こう側や後ろから聞こえたりするのはモノフォニックな音場情報によるためです。これらは人体とは関係なく、音源の位置や、それが存在する環境によって作られます。
またステレオフォニックな音場情報は主に左右の方向の定位や音の広がりに関係します。これらによって不完全ながら3次元的な音場空間が再現されます。
複数のマイクにより録音し、複数の再生系により再生する、多チャンネルステレオもこの方式の延長線上にあるものですが、音像をスピーカーで置きかえようとする傾向がより強くなります。

 ・人体またはその一部が介在する録音方式
人間の頭部や耳を模倣した人工ヘッド付マイクロフォンによる録音です。普通は頭部と耳の部分があリ、時には肩や胴体部分も付加されます。頭部だけで耳のないマイクロフォンや、耳の部分だけで頭部のないものもありますが、性能はやや劣ります。一般的には模倣される部分が多い方がより良い結果が得られます。
頭部の形には個人差があり、また目や鼻や口などの細かい部分は影響が少ないため、これらは簡略化されたり省略される事があリ、耳の形も幾何学的な形に単純化される場合があります。
ダミーヘッドによるバイノーラル録音、ホロフォニクスによるバイ・モノーラル録音などがこの方式です。これらの方式では、音源の存在する環境によって作られる音場情報も同時に収録されます。ヘッドフォンで聞くと、録音した場所の音場空間をほぼそのまま忠実に再現できるのがこの方式の特徴です。
クロストークのキャンセルなど各種の補正を行なって、ペアスピーカー再生に適合させる方法もありますが、ヘッドフォンによる再生には到底及びません。

 ・中間的な録音方式
基本的にはペアマイク、ワンポイントマイクなど裸のマイクよる録音ですが、マイクにさまざまな付加物を設けて擬似的に音場情報を作り出すものです。ステレオ再生時の立体感や実在感を増したり、ヘッドフォン再生時の頭内定位を軽減したりします。マイク自体がそのような効果を持つ場合もあります。
どちらかと言えば録音エンジニアのノウハウの範疇に属するもので一般的なものではありませんが、球体の表面にマイクを取り付けたものは市販品もあリます。



人工ヘッド付マイクロフォン
人工ヘッド付マイクロフォンは音響空間をほぼ完全に収録できる唯一の方法です。この録音方法についてもう少し詳しく紹介しましょう。

人工ヘッド付マイクロフォンは主体となる音場情報の種類により次の2系統に分類できます。
 ・バイノーラル系マイクロフォン
バイノーラル効果に基づく音場情報が主体となっており、頭部伝達関数(HRTF:Head Relayted Transfer Function)の正確な再現が重視されます。ダミーヘッドマイクロフォンは、このバイノーラル系になります。
 ・バイ・モノーラル系マイクロフォン
モノーラル音場情報が主体となっています。音場情報の主要な部分がバイノーラル効果に基づかず、また一般的に測定されている頭部伝達関数(HRTF:Head Relayted Transfer Function)にも基づかないのが特徴です。ホロフォニクスがこの方式の代表です。

また人工ヘッド付マイクロフォンは動作原理により次の4種類に大別できます。
 ・旧世代ダミーヘッドマイクロフォン
ノイマンKU81iあたりまでのダミーヘッドマイクロフォンです。内容や構造は様々で、一つの方式と呼べるものではありませんが、バイノーラル的な要素しか考慮されていないのが共通する特徴です。ダミーヘッドマイクロフォンは主に単体で使用されます。
現在でもアマチュアが製作するものはほとんどすべてこの中に含まれます。
前方の音源が定位しにくく頭内定位になる傾向があり、上下方向の再現は困難です。また音場が混濁・縮退するため、空間に透明感がなく、音が頭や耳の周りにまとわりつくような感じがあります。
しかし製作・調整が簡単で、鳥の声などはそれほど問題なく定位するため、用途によっては十分実用性があります。
人間の耳の部分にマイクを取り付けて録音するリアルヘッド方式も原理的にはこの世代に属しますが、実際にはそれ以上の性能を示す場合があります。
 ・新世代ダミーヘッドマイクロフォン
ヘッドアコースティックス社のアーヘナー・コプフを代表とするダミーヘッドマイクロフォンです。ノイマンKU100もこの世代になります。ダミーヘッドマイクロフォンはプロセッサーとともに使用されます。
モノーラル的な要素も考慮されているため、前方定位は改善され、上下方向も再現できるようになっています。音場空間の縮退も軽減されて、距離感の再現もよりリアルです。
一時期ソフトが発売されていたスフェリカル・サウンドやヴァーチャル・フォニックスもこの世代に属すると思われます。
 ・ホロフォニクス系マイクロフォン
ホロフォニクスはアルゼンチン生れの神経生理学者ヒューゴ・ズッカレリによって開発された録音方式です。既に40年近い年月を経過していますが、その技術は明らかにされていません。人工ヘッドはプロセッサーと組み合わされて使用されます。
ホロフォニクスはバイノーラルではなく、バイ・モノーラルに属する録音技術です。このため片チャンネルを片耳モノーラル再生した時にも強力な音場再生能力があリ、三次元的な音場空間を再現します。音場情報の主要な部分がバイノーラル効果には基づかず、また一般的に測定されている頭部伝達関数(HRTF:Head Relayted Transfer Function)にも基づいていないのが特徴です。
開発者のヒューゴ・ズッカレリによれば、ホロフォニクスはホログラムの音の相当物であり、レーザー光と外光の干渉によりホログラムが生成されるように、人体からの参照音と外部からの音の干渉により音のホログラムを生成するのだとしています。OtophonicsやHoloacaustic、ISOPHONICなどもこの録音方式です。
ダミーヘッドによるバイノーラル録音に比べ、前方定位の異常や音場空間の縮退がなく、空間の透明感や距離感の再現性に優れています。
 ・準ホロフォニクス系マイクロフォン
人工ヘッド付マイクロフォンには、上記の3つの録音方式の他に、また別の録音方式が存在します。これには構造上のいくつかのバリエーションが含まれていますが、本来の人間の聴覚器官の構造とは異なるものです。
人工ヘッドとプロセッサーを組み合わせて使用するもので、現在のところ実物は存在しませんが、音場の再現性は新世代ダミーヘッドマイクロフォンよりも優れ、ホロフォニクスに近いと予想されます。
この方式もバイノーラルではなく、基本的にバイ・モノーラル系の音場収録方式です。
ただ性能の割には、それ以上に構造が複雑で製作・調整が面倒であり、メリットよりもデメリットの方が大きいので、今後実用化される見込みはほとんどありませんが、実験用としては面白いと思います。

人工ヘッド付マイクロフォンは、形態により分類すると次の3種類になります
 ・頭部と耳を持つもの
ごく普通の人工ヘッド付マイクロフォンです。場合によっては肩や胴体の部分が付加されることもあります。
音場の再現性は当然のことながら3種類のうちで最も優れています。しかし同時に耳の形の個人差による影響を受けやすいという欠点もあります。
 ・頭部だけで耳を持たないもの
耳の部分がないのっぺらぼうのヘッドの耳の位置にマイクを取り付けたものです。
耳の形の個人差による影響を受けないというメリットはありますが、音場の再現性は他の形態のマイクに比べるとあまり良くありません。
また耳の影響による各方向からの音の変化がないため、聞いていて違和感を感じる場合があります。
人工ヘッドは適当な大きさの物体でも代用できますので、ちょっとした実験には便利です。
 ・耳だけで頭部を持たないもの
頭部を省き、主として耳の部分のみ、または耳の一部の構造のみを持つもので、小型化できるため携帯には便利です。
音場の再現性は頭部と耳を持つものに次いで良好ですが、耳の形の個人差の影響を受けやすく、やや不安定な部分もあります。しかし一般の人には耳と頭部をもつものとの区別は困難でしょう。このタイプにはヘッドフォンのように頭部に装着して使用するものもあります。
比較的安価で簡単に製作できるため、アマチュアが製作するには向いています。


ヘッドフォン再生とステレオ再生の互換性

普通のステレオ再生用のソースをヘッドフォンで聞くというのは一般的に行なわれていますが、音が頭の中で聞こえる頭内定位になりやすい事はよく知られています。頭外定位となる場合でも音場は不明瞭で、前後や上下の再現は曖昧になり、良い結果は得られません。また耳介を経由しないで直接耳に音が到達するため、耳介による音の変化を受けず、中域が落ち込んだ独特の音質になります。
それではヘッドフォン再生用に作られた立体音響のソースをステレオで再生する場合はどうなのでしょうか。
この場合スピーカーから再生される音は、人工ヘッドの耳とリスナーの耳の両方を経由したものになります。これは耳による音質の変化を二重に受ける事になり、あきらかに異常な音質になります。これを補正してスピーカー再生に適合させる事は出来ますが、今度はヘッドフォン再生時に前方からの音がまったく耳を経由していない音になり、不自然な音質になってしまいます。
もう一つの問題として、立体音響の音場は立体的な定位を持っていますが、スピーカー再生することによりほとんどの音が前方定位になります。このとき前方以外に定位していた音は、本来耳や頭部の影響で各方向により異なる周波数特性を持っていますが、これが方向の情報としてではなく音質の変化として認識されるようになります。
一般的に言ってステレオ再生用のソースはヘッドフォン再生では良い結果は得られませんし、ヘッドフォン用の立体音響のソースはステレオ再生ではかなり異常な音質になります。
このように音質面のみ考えてみても、ヘッドフォン再生とステレオ再生に完全な互換性を持たせる事は原理的に無理があります。また安易に互換性を持たせた場合、本来の音場や音質の再現性を損なう結果になります。
ヘッドフォン再生用に作られた立体音響のソースはヘッドフォンで聞くのが望ましい方法です。


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